: 2013年3月04日

「いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記」を読んで

いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

ブログの詳細説明を読むと、韓国籍の在日朝鮮人3世の方のようだ。
「自分のことを、「在日コリアン」とか、「在日韓国人」とかと言わず、「韓国籍の在日朝鮮人」と称するのは、最も周囲の関心を得やすく、相手の考え方が最も判りやすいから」とある。

ツイッタからこのブログの存在を見つけた。
周囲と自己についての、深い考察とするどい観察眼は、このブログの詳細説明を読むことで理解された。

自分は日本国籍のアジア人だと意識している。そしてまた、アジアに住む地球人、つまり人間だとも。たまたま日本に生まれ日本に暮らしているが、それ以上でもそれ以下でもない。

自分自身の独特な在日体験?について思い出す。ある群馬の山村でのことだった。九州で生まれ育った自分は、東京でその山村出身の女性と結婚して、都会暮らしに辟易して、その女性の生まれ育った土地に暮らすことにした。どこの馬の骨とも分からない他国者が山村にやってきた。珍しがられたり、また気の好い人柄に、周囲の対応は温かかった。

しかし、暮らしが安定したころ、環境問題などで周囲と違う意見を明らかにすると、さまざまな軋轢が起きることとなった。

そんな中で、小さな集落の氏神様のお祭りの宴席で、酔った近所の無骨な老人から、お前は誰だと言われた。お前は誰だ?恣意的なそして気持ちの悪い不躾な問いに戸惑った。悪寒がした。

「朝鮮か?」と、その薄汚い酔っ払いは言った。
相手の心の内を見透かすと、言い返す気力を失った。
これが、独特の在日経験?だった。

この経験の省察は今も続いている。
それが、部落か? あるいはムショ帰りか?
どれも、同じ目的を持つ言葉だと思う。
それぞれに意味合いは違うが、どれよりどれが良いという評価ではなく、その類に扱おうとする意識の対象とされる状況に遭遇したのだ。

いじめの構造にもそれがあると思う。いじめる側の誤解だとか、恣意的な言いがかりだと言えばそれまでだが、排除したい動機があってその意識の根拠に差別を持ち出して来るのではないか。
そもそも、対立関係の根底にあるのは、地域の環境問題での軋轢だったのだから。本質が差別の問題にすりかえられるのだ。

そんなことを考えるブログだった。

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