: 2011年5月10日

(◎△v) 今日のネットウォッチ(2011/05/10)

明日は、震災発生の3.11から二ヶ月目の11日だ。この二ヶ月間、いろいろな物を置き忘れて過ごしてきた。もちろん、ここは福島原発から200キロ離れた群馬県前橋市、現地の状況に比べるまでもないいつもの生活がここにはある。
初めの一週間は夜昼なくテレビとネットで原発の状況確認をしていた。東電や保安員、政府の記者会見は岩上IWJのストリームやTBSやNHKのネット放送で見ることができた。水素爆発や自衛隊のヘリによる注水など、白煙が上がる原発を見ながら固唾を飲んで見ていた。3号機は水素爆発の衝撃で燃料プールの核燃料が臨界して瞬時に核爆発をしたのではないかという見方がある。爆発動画を見て、その爆発速度が音速を超えているというのが根拠である。一号機のふわっとした水素爆発に比べると三号機は建屋の屋根が吹き飛ぶ様子や、きのこ雲が立ち上がっているのが見える。
その時、コレまでで最大量の放射能が環境へ出てしまった。福島県をはじめ、関東一円が汚染された。信頼できる空間線量のグラフにそれが残っている。また、浜中のモニタリングポスト、女川のモニタリングポストのグラフにも線量の急上昇が見られた。川崎市の放射線モニターグラフは枠を超えてしまった。その時、関東一円のたくさんの人たちが、大人も子ども汚染された空気の中にいた。また、その数日後ドライベントによる放出のピークがある。これは、風向きで福島県の来た方向へ運ばれて深刻な汚染を引き起こした。もう取り返しのつかない状況が起きてしまっていた。がしかし、その頃、政府は「直ちに健康に影響はない」と言い続けていた。このネットウォッチサイトが情報を整理し始めたはこの頃だ。飯舘村の空間線量がとてつもなく(これは小出先生のお決まりの形容です♪)高く、当地の方がツイッターで叫んでいた。しかし、避難区域を初めは3キロ、10キロ、20キロと広げたが、飯舘村は、その円の外、圏外だったから避難をしなかった。その後、自主避難、計画避難とされるが・・・、子どもたちの事が心配で成らなかった。ささやかな、このサイトでの情報発信を試みた。ツイッターでもごまめの歯ぎしりを流したが、高名な人には届かず、あまり効果のないままに、ただただニュースを拾った。飯舘村の子ども達は安全な場所へ避難できただろうか。(◎△v)

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