たね蒔きジャーナルに出演した小出先生は、放射能の損害補償は、東電がいくつ倒産しても、国が倒産しても、できないほどの膨大なものだと、言っています。
事故の張本人はすべてを補償しなくてはなりません。

除染するとしても、広大な山々や田畑の表土を剥ぐ、入れ替えることができるのでしょうか。
農業は、汚染された土地ではできないでしょう。畜産もだめでしょう。
いろいろな除染の案が出されていますが、すべてが解決できるのでしょうか。

ネットの中から何か考えるヒントを探してみようと思います。

2013年3月09日 明日の福島

福島の3町村、避難区域を再編へ : 福島原発 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

福島の3町村、避難区域を再編へ : 福島原発 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
(2013年3月7日23時05分 読売新聞

 政府の原子力災害対策本部は7日、東京電力福島第一原発事故で全域が避難指示区域に指定された福島県葛尾村、富岡町、浪江町について、葛尾村は22日、富岡町は25日、浪江町は4月1日のそれぞれ午前0時に、区域再編を行うことを決めた。



ウォッチ/明日の福島 記事リスト

2013/03/09 : 福島の3町村、避難区域を再編へ : 福島原発 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
2012/12/29 : 福島県外への避難に壁〜年末で住宅支援打ち切り
2012/02/15 : 【第4回】「福島はいま、どうなっているのか」
2011/12/08 : 20111207 たね蒔き「農政学者が見たチェルノブイリの現実」
2011/11/02 : 『福島のみなさん ~収束の日まで~』福島在住の方々の"今"を伝えていきます。
2011/11/01 : 家族のため七尾で農業 南相馬出身・國分さん
2011/11/01 : 高知新聞:高知のニュース:社会:海辺で自給自足 福島第1原発元技術者・木村さん
2011/10/24 : 福島第1原発:計画的避難指定から半年 飯舘村の農家の今 - 毎日jp(毎日新聞)
2011/10/23 : 市民団体による被曝手帳の配布始まる
2011/09/01 : 河北新報 東北のニュース/福島県議選「11月20日投票」で調整 市町村の意向確認
2011/08/28 : 時間は止まらない戻らない
2011/08/27 : 東京新聞:3キロ圏内の町民「もう戻れねえ」 一時帰宅終え加須到着:埼玉(TOKYO Web)
2011/08/27 : 東京新聞:再起の旅 福島県双葉町 「生きていく区切りに」:埼玉(TOKYO Web)
2011/08/25 : asahi.com(朝日新聞社):福島県民一人ずつの被曝線量測定など要望 がん対策協 - 東日本大震災
2011/08/25 : 福島第1原発:若い世代戻らないかも 広野町に悲痛な声 - 毎日jp(毎日新聞)
2011/08/23 : 県議会に議員を!
2011/08/20 : asahi.com(朝日新聞社):原発警戒区域の年積算線量、最高508ミリシーベルト - 東日本大震災
2011/08/18 : 8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA! 木村真三 報告会
2011/08/13 : 明日の福島
2011/08/13 : タイトルを「福島原発事故」から「今日の福島」に変えました。

2012年12月29日 明日の福島

福島県外への避難に壁〜年末で住宅支援打ち切り


公開日: 2012/12/23
福島県は12月28日、県外へ避難する時の住宅支援である「借り上げ住宅」の新規受付を打ち切る。原発事故以降、高い線量が続いている福島県。今年5月に福島市が実施した­アンケート調査では、回答者全体の33%の人が、また乳幼児や小学生のいる世帯の半分以上が「できれば避難したい」と考えていることが分かっている。
 
福島県が県外へ避難している人の呼び戻しに力を入れる中、「借り上げ住宅」の新規受付打ち切りの理由については、県は「国(厚生労働省)から再三要請された」と説明。しか­し、厚生労働省は「打ち切りを決めたのは県であり、県の意向を尊重している」とし、意見は食い違う。
 
福島県郡山市で小学生の息子さんと中学生の娘さんと家族で生活する野口時子さんは、子どもの被ばくについて気をつかいながら避難するタイミングを待っている。今回の打ち切­りで「県外避難の選択が奪われる」と話す野口さんと、福島県の避難者支援課の藤田英明主幹に話しを聞いた。
 
福島県は12月28日、県外へ避難する時の住宅支援である「借り上げ住宅」の新規受付を打ち切る。原発事故以降、高い線量が続いている福島県。今年5月に福島市が実施した­アンケート調査では、回答者全体の33%の人が、また乳幼児や小学生のいる世帯の半分以上が「できれば避難したい」と考えていることが分かっている。
 
福島県が県外へ避難している人の呼び戻しに力を入れる中、「借り上げ住宅」の新規受付打ち切りの理由については、県は「国(厚生労働省)から再三要請された」と説明。しか­し、厚生労働省は「打ち切りを決めたのは県であり、県の意向を尊重している」とし、意見は食い違う。
 
福島県郡山市で小学生の息子さんと中学生の娘さんと家族で生活する野口時子さんは、子どもの被ばくについて気をつかいながら避難するタイミングを待っている。今回の打ち切­りで「県外避難の選択が奪われる」と話す野口さんと、福島県の避難者支援課の藤田英明主幹に話しを聞いた。

2012年2月15日 明日の福島

【第4回】「福島はいま、どうなっているのか」


1月17日(火) 19:00~21:00
中手 聖一(なかて せいいち)
 子どもたちを放射能から守る福島ネット代表

 チェルノブイリ事故汚染地帯のレベルをはるかに超える福島で、子どもたちはいまどうなっているのか?大人たちの責任とは?私たちの活動と共に報告します。

中手さんは北海道への移住を決心されました。
正しい判断、正しい行動だと思います。
後に続いて、福島のこどもたち、おとなたち、避難していただきたい。
数万のこどもたちが避難したそうです。しかし、10分の1という話。
ま20数万人のこどもたちが福島に残っているそうです。


福島農家がコメをつくった理由 - Togetter

shantiachanti さんが 2012/02/12 にアップロード

2011年12月08日 明日の福島

20111207 たね蒔き「農政学者が見たチェルノブイリの現実」








tacc77 さんが 2011/12/07 にアップロード

 今夜は、チェルノブイリ原発事故で被害を受けたベルラーシ共和国とウクライナ共和国を視察してきた福島大学(農業経済学)の小山良太准教授と電話をつなぎ、放射能被害の中­で生活する人々の実態をうかがいます。
 小山准教授ら約30人は、福島県を代表して10月31日から11月7日の期間で、原発のあるウクライナと隣のベルラーシを訪れ、原子力災害のあった地域の放射線対策や健康­管理、復興策などについて調査してきました。
 番組では、まさに同じ境遇にあるといってもよい、福島の人たちにとって、少しでも生活改善を導くことができる糸口は見つけたられたのか、小山准教授から話を聞きます。

2011年11月02日 明日の福島

『福島のみなさん ~収束の日まで~』福島在住の方々の"今"を伝えていきます。

福島のみなさん 南相馬市 2011.10.16 その1


福島のみなさん 南相馬市 2011.10.16 その1
投稿者: rememberfukushima

『福島のみなさん ~収束の日まで~』福島在住の方々の"今"を伝えていきます。原発から15km地点に住んでいて避難民となりながら、震災後から­南相馬市を中心にボランティア活動を続けている椀澤悟志さん。震災のときの様子、その後のボランティア活動、現在取り組んでいる­除染活動について、お話を伺いました。

福島のみなさん 南相馬市 2011.10.16 その2


投稿者: rememberfukushima
『福島のみなさん ~収束の日まで~』福島在住の方々の"今"を伝えていきます。市民派の大山弘一南相馬市議会議員を訪ねました。現在の南相馬市内­・市民の状況、放射能核種のこと、除染を推進する児玉龍彦東大教授について、お話を伺いました。大山弘一議員のホームページ→h­ttp://www.mak55.com

2011年11月01日 明日の福島

家族のため七尾で農業 南相馬出身・國分さん

家族のため七尾で農業 南相馬出身・國分さん

 福島第1原発事故のため七尾市で家族3人と避難生活を送る國分剛さん(34)=福島県南相馬市出身=が28日までに、七尾市などでつくる七尾市担い手育成総合支援協議会の就農支援農家第1号に決まった。同市によると、県内自治体が独自で東日本大震災に被災した農家の就農を支援する例は他にない。
 同協議会は、国、県の就農支援制度に5万円を上乗せして毎月助成する。25日、國分さんが勤める七尾市中島町上畠の農事組合法人「上畠農業機械利用組合」を通じて初めて支給した。一家の交通費として6万円も近く支給する。

 3月11日の東日本大震災、その後の原発事故発生で、南相馬での生活を断念せざるを得なくなった國分さんは、2009(平成21)年秋、同市の能登演劇堂でのロングラン公演「マクベス」にゲスト出演した思い出の地七尾に、母親(56)、妻(26)、長男(2)を連れて同月25日に身を寄せた。

 國分さんは、国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」のため、自宅で馬3頭を飼っていた経験を生かし、金沢競馬場で厩(きゅう)務(む)員(いん)の仕事を得て単身赴任。しかし、家族一緒に暮らしたいとの思いが募り7月末で退職、8月に同組合へ就職して一家そろっての生活を始めた。

 南相馬で國分さんは配管工事業を営む傍ら、家族や馬のため稲作や畑作、牧草栽培をしていた。同組合では技術を生かし、畑作や稲作、地元特産の中島菜を冬に育てるためのビニールハウス設営に精力的に取り組み、周囲も「働き者だ」と評価する。

 國分さんは、原発事故が収束し、ふるさとに戻れる日が来ると信じているが「子どもの健康を考えると、七尾で生活するのがいい。七尾で頑張る」と話した。

2011年11月01日 明日の福島

高知新聞:高知のニュース:社会:海辺で自給自足 福島第1原発元技術者・木村さん

高知新聞:高知のニュース:社会:海辺で自給自足 福島第1原発元技術者・木村さん

 土佐清水市にある海辺の過疎集落で、東京電力福島第1原発の元炉心設計技術者、木村俊雄さん(47)は暮らしている。目標は「自給自足の生活」だ。
 「自然に帰れ、バイ・ルソーですよ」
 栃木出身の妻と小2の長女を連れ、福島から移住して半年余り。空き家と農地を借り、有機農業に励む。
 古い民家の車庫には、うずたかく積まれたまき。おので割り、風呂をわかす。
 18年近く働いた東京電力では、原子炉内部にあるウラン燃料の配置の並べ替えなどをしていた。「風呂たき」のような仕事だ。
 「そう、炭を並べ替えて効率よく燃やしていくような仕事。炭に当たるのがウラン燃料、うちわで送る酸素が中性子ですね」
 出身は福島県双葉町。家は原発労働者が泊まる宿を営み、早くから母一人子一人。「東電さまさま」を身にしみて育った。
 中学を出ると東京に出て、東京電力が運営する企業内学校「東電学園高等部」へ。
 「寮費、授業料、制服代、車の免許取得費など、すべて無料。月給も出ました」
 卒業後は新潟・柏崎原発へ。新潟に「原子の火」をともした1号機の試運転班に入り、一貫して原発の原子炉と付き合った。
 福島第1原発に転任後は、原子炉のシステム設計、管理に当たる約30人のチームで主任を任された。
 疑問を感じ始めたのは、いつごろだったか。
 「購入費が1本3千万円ほどの燃料棒が、1~6号機で3千本以上。すごい金がかかる。だから長持ちさせ、稼働率を上げよと。とにかく効率、効率なんです」
 思い起こせば、原子炉の圧力を逃がすベント弁すらなかった。
 「アメリカの原子力規制委員会の勧告で、やっと嫌々付けた」
 とりわけ納得できなかったのは、「じゃあ、核のごみどうすんのって話」。
 「置き場がなく、第1原発の敷地に増設、また増設。実はそんな自転車操業」
 「ガラス固化して地層に5万年埋めますって。例えば原形で残った5万年前のガラス、見た人います?」
 中学時代から哲学や自然に興味が深く、地元中学の野球部で4番を打つ傍ら、ルソーの著作を読みふけったりした。当時の日記をめくっていたら、「自然に帰れ、BYルソー」とあった。
 10年前、36歳で退職。家でバイオ燃料を作り、八百屋で働いて生ごみのリサイクルなどに取り組んだ。
 昨年10月、第1原発から西に15㌔の荒れ地を借りて開墾。併せて太陽光発電装置の販売を始め、種芋を買ってきたところで、「3・11」が起きた。
 福島第1原発を津波が洗っていく映像が、テレビに流れた。
 「これは絶対、炉心溶融までいく」
 土佐清水はサーフィン仲間がいて、何度か来たことがあった。
 海辺の集落。やってきて正解。暮らしが肌になじみ、「優雅でありがたい避難生活」。
 ご近所さんと語らい、ついでに野菜をもらったり。時間があればサーフィン。太陽光パネルを付け、極力、電気は使わない。
 パシッ。なれた手つきでウバメガシの幹を割る。「エネルギーを自給自足できる暮らし、地域をつくってゆくのが夢」と話す。


高知新聞:高知のニュース:社会:炉心溶融事故予言 東電元社員の木村さん(土佐清水市)

高知新聞:高知のニュース:社会:炉心溶融事故予言 東電元社員の木村さん(土佐清水市)

 非常用電源が水没し、メルトダウン事故を招いた福島第1原発で、過去にも浸水により非常用電源が不能となる事故が起きていたことを東京電力の元社員、木村俊雄さん(47)=土佐清水市=が証言している。原発の設計技術者だった木村さんは6年前、この知見を基に福島原発のメルトダウン事故を寄稿文で予言していた。

2011年10月24日 明日の福島

福島第1原発:計画的避難指定から半年 飯舘村の農家の今 - 毎日jp(毎日新聞)

福島第1原発:計画的避難指定から半年 飯舘村の農家の今 - 毎日jp(毎日新聞)

 東京電力福島第1原発事故で福島県飯舘村が計画的避難区域に指定されて22日でちょうど半年になった。村は約2年での段階的な帰村を目指すが、やむなく新天地で生活を再建しようと試みる人も少なくない。同村伊丹沢で農業をしていた長谷川芳博さん(42)もその一人だ。ビニールハウスを福島市内の畑に移し、キュウリの栽培を再開した。「故郷は心の中にあればいい」。長谷川さんは、生まれ育った村にはもう戻れないかもしれないと考え始めている。

 「畑の表土を削るって、減った分の土はどっから持ってくんだ」。10月20日、村の除染や復興を巡り、福島市内で開かれた住民懇談会で、村側が示した除染計画に長谷川さんはかみついた。村は約2年で住宅地を、約5年で農地を除染し、帰村する計画を立てている。だが、長谷川さんによると「表層を削ればすぐに粘土層が露出し、農業には適さない土地になる」という。その日、質問への明確な答えはなかった。

 専業農家に生まれたが、高校を出た後に上京し建設業に就いた。無我夢中で働き、建設現場で親方を任されるまでになった。充実感の一方でたまに目にする郊外の畑に懐かしさを覚えた。そんな時、父親が体調を崩し、31歳で村へ戻った。

 大量に肥料を入れ農薬をまく農業に疑問を覚えた。「ビニールハウスを一つ俺に任せてくれ」。近所の農家から笑われるのもお構いなしに、肥料と農薬を思い切って減らした。「野菜を無理に育てるんじゃなく、野菜が持っている育つ力を助ける。それが本当の農業じゃないのか」。数年の試行錯誤を経て納得のできるキュウリが実った。大手のコンビニにも卸すようになり、村おこしのリーダーにも選ばれた。

 原発事故に襲われたのは、家族経営を脱却し、法人化を考えていたときだった。1ケース(5キロ)2500円のキュウリは風評被害で200円まで暴落。ビニールハウスの重油代にも事欠くようになり、避難を決めた。「若い農業の担い手を育てる」という夢も、無人の村に置いてきた。

 福島市内で畑を借り、1カ月がかりで4棟のビニールハウスを移し、8月の末に収穫にこぎ着けた。「補償なんか当てになんねえ。自立せねば」。そんな思いが自分を駆り立てた。今は妻と娘2人で畑に近いアパートに身を寄せる。両親も近所に避難した。東電や政府に言いたいことは山ほどある。村の計画にも疑問を感じる。「村に戻るのは年に2回、墓参りの時だけになるだろう」。長谷川さんは村に愛着を感じつつ、この地に根を張ろうかと思い始めている。【川崎桂吾】

2011年10月23日 明日の福島

市民団体による被曝手帳の配布始まる


videonewscom さんが 2011/10/22 にアップロード

http://www.videonews.com/
スペシャルリポート (2011年10月22日)
市民団体による被曝手帳の配布始まる
報告:藍原寛子氏(医療ジャーナリスト)
 福島県内の市民団体など2団体が、震災以降の行動や健康状態などを記録できる「被曝手帳」を独自に作成し、今月から配布を始めている。
 これは福島市の市民放射能測定所が作成した「生活手帳」と、飯舘村の若手村民による「負げねど飯館」の「健康生活手帳」の二種類。子どものいる家庭や住民らに無料で配布し­ている。
 それぞれ名前は「生活手帳」、「健康生活手帳」となっているが、将来、何らかの健康被害等が生じた時の訴訟や賠償請求のために、原発事故以降の自分の行動を詳細に記録でき­るようになっている。
 いずれも広島、長崎の被爆者団体や医師、専門家などからのアドバイスをもとに作成されたもので、原発事故以降のできごとを詳細に記録した出来事カレンダーを見ながら、その­時々の自分の行動を書き入れる行動記録欄や、屋内・外での滞在時間と場所、屋外での作業内容、雨に濡れたかどうか、マスク着用の有無、飲食の内容、健康状態なども詳しく書­き入れられる・・・・・・。

2011年9月01日 明日の福島

河北新報 東北のニュース/福島県議選「11月20日投票」で調整 市町村の意向確認

河北新報 東北のニュース/福島県議選「11月20日投票」で調整 市町村の意向確認

 東日本大震災によって2度先延ばしされている福島県議選(定数58)について、県選管は31日、「11月20日投票」の日程で調整を進めることを決めた。今月7日まで、福島第1原発事故の影響が大きい浜通りなどの15市町村の意向を確認し、選挙日程を正式決定する。告示日と開票日は、投票事務の状況などを考えて今後決める。
 福島県議選は被災地が対象の特例法によって、12月31日が実施期限になっている。ただ、選挙後の県議会12月定例会の年内閉会を想定すると、11月20日がぎりぎりだという。各市町村の議会日程や、会津地方の降雪の影響なども考慮した。
 告示日については、原発事故で地元を離れた多くの有権者が、郵送による不在者投票制度を活用することになるため、原則9日間の選挙運動期間で十分かどうか検討する。開票作業もこれまでにない手間がかかることが確実で、即日開票が可能かどうか議論する。
 県選管によると、事前調整を進めてきた15市町村も年内実施に反対はしていないという。31日の会議では、県選管委員から「啓発活動に力を入れるべきだ」などの意見が出された。
 ことし4月の統一地方選で行われる予定だった被災3県の県議選は、岩手県が9月11日投票で行われる。宮城県も11月13日投票で実施する方針を固めている。


2011年09月01日木曜日

政治を変えましょう!
ここから福島を取り戻しましょう。あなたが立ち上がってください。




2011年8月28日 明日の福島

時間は止まらない戻らない

福島の人たちの多くは汚染の中で暮らすことにしたのだろうか。
新学期が始まる。
たくさんの子どもたちや大人が、福島から離れていったようだ。
しかし、それは全体の一部であって、多くの子どもたちはまだいる、放射能にさらされながら。

ニュースをウォッチしていて、国や東電が子どもたちを集団で避難させるつもりはなさそうだ。内閣が変わっても、何も変わらないように思える。

たくさんの人が、子どもたちの避難を呼びかけている。なぜ、それが今できないのだろう。
東電や国、県、市町村が何かしてくれると待っているのだろうか。不思議でならない。この場合の時間は味方にはならない。まず何よりも、ただちに子どもたちを避難させて、それからいくらでも除染をやればいいし、東電や国と県と放射能を巡って渡り合えばよい。

しっかりしてよ、大人たち。
※喧嘩売りたくなる・・・
もちろん、このサイトをご覧の方のことではありませんよ!

2011年8月27日 明日の福島

東京新聞:3キロ圏内の町民「もう戻れねえ」 一時帰宅終え加須到着:埼玉(TOKYO Web)

東京新聞:3キロ圏内の町民「もう戻れねえ」 一時帰宅終え加須到着:埼玉(TOKYO Web)

 福島第一原発事故後、原発から三キロ圏内で初めて実施された一時帰宅。福島県双葉町の住民二十九人は午後七時前、役場機能のある加須市の旧騎西高校へバスで到着した。運び出した荷物を抱え、「がっかりした」「もう帰れねえ」と疲れをにじませた。 (増田紗苗)

 原発から約二・五キロに自宅のある元畜産農家の鵜沼久江さん(58)は「やっぱり駄目だった」と声を落とした。自宅横の牛舎で飼育していた牛約五十頭のうち、十五頭以上が死んでいた。

 「予想はしていた。それでも、他の牛たちは生きているようだった。牛舎には一頭しかいなかったけど、その一頭のおっぱいが膨らんでてね、子どもが生まれそうだった。それを見たときはうれしかった」と目を潤ませた。

 農業の林一栄(かつえ)さん(74)は「がっかりだ」と顔をゆがめ、「家も畑も草が生い茂って、あそこにはもう戻れねえと思った。俺らは加須で住むしかないのかな」と肩を落とした。

 原発から約二キロの自宅から三人の娘のアルバムを持ち帰った主婦(53)は「線量は(積算で)七マイクロシーベルトだったけど、子どもたちがいるのでもう戻れないと思った。ずっとあのままでは、どうしようもない」と語った。

2011年8月27日 明日の福島

東京新聞:再起の旅 福島県双葉町 「生きていく区切りに」:埼玉(TOKYO Web)

東京新聞:再起の旅 福島県双葉町 「生きていく区切りに」:埼玉(TOKYO Web)

◆ホウレンソウ農家 加須に避難 林一栄さん
 福島第一原発から三キロ圏内に住む福島県双葉町と大熊町の住民が二十六日、震災後初めて一時帰宅する。加須市のアパートで妻や孫と避難生活を送る双葉町の農業林一栄(かつえ)さん(74)は出発を前に、「未練はまだいっぱいあるけど、新天地で生きていく区切りになれば」と、一時帰宅に込める複雑な思いを語った。 (増田紗苗)

 林さんの自宅は原発から約二キロの高台にあった。家の近くに広がる約四千平方メートルのビニールハウスで、二十年以上前からホウレンソウを育ててきた。「素晴らしい土地だった。種をまくだけで、うんまいホウレンソウができるんだ。自然の恵み。俺の生きがいだった」

 三月十一日、そのハウスはすべて津波で流され、豊かな土地には放射線が降り注いだ。「一瞬にして人が行きたくないような土地になっちまった」。林さんの顔に苦痛の色が浮かんだ。

 約百七十年前、林さんの先祖たちは、現在の鳥取県から双葉町に集団で入植したという。「私で五代目。先祖が苦労したおかげで暮らせるようになったのに、津波と原発で全部ご破算になった」。悔しさは消えないが、「また新たなスタート台に立ってんだな」と懸命に前を向く。

 林さんは最近、行田市の県農林公社で野菜作りを始めた。今はハクサイやブロッコリーの苗を育てているが、「いつかホウレンソウを育てて、埼玉の特産にしたい。地域への恩返しだ」とほほ笑んだ。

 林さんが先祖から受け継ぎ、共に生きてきた土地はいま、立ち入り禁止の長期化や国による買い上げが検討されている。

 林さんは言う。

 「除染をしても人は住まないし、育てた野菜はきっと売れないと思う。国が全部買い上げるのは賢明なのかもしれない。それでもまだ、納得できねえんだ。だから、むちゃくちゃになった田畑や家を見て、あきらめがつけばと思ってる」

2011年8月25日 明日の福島

asahi.com(朝日新聞社):福島県民一人ずつの被曝線量測定など要望 がん対策協 - 東日本大震災

asahi.com(朝日新聞社):福島県民一人ずつの被曝線量測定など要望 がん対策協 - 東日本大震災

 国のがん対策を話し合う厚生労働省のがん対策推進協議会は25日、東京電力福島第一原子力発電所の事故による福島県民の健康影響を調べるために、県民一人ずつの被曝(ひばく)線量を測定するための費用を来年度予算に盛り込むよう国に要望することを決めた。小児がん拠点病院(仮称)など小児がん治療態勢整備の費用も求めていく。

 低線量被曝の影響は科学的によくわかっていない。同協議会は、福島の住民個人個人の被曝線量を測定し、測定結果を個人に通知すると同時に、長期間にわたって低線量被曝した場合の健康影響を調べるために必要な医学的な情報収集の予算措置を求めていく。

 一方、現行の政府のがん対策基本計画には小児がん対策が盛り込まれていない。協議会は、小児がん対策の強化が必要だとして、治療の質の向上と同時に、治療中の子どもを支援することなどを目的とする、小児がん拠点病院(仮称)の設置や、小児がん登録など小児がん関連情報を一元的に統括し、総合的な対策を立てる小児がんセンター(仮称)の創設も要望していく。(大岩ゆり)
何か、引っかかる・・・
子どもたちの避難を呼びかけるべきではないか。
どこかの発展途上国の困窮する医療援助のような姿勢に怒りを感じる。

2011年8月25日 明日の福島

福島第1原発:若い世代戻らないかも 広野町に悲痛な声 - 毎日jp(毎日新聞)

福島第1原発:若い世代戻らないかも 広野町に悲痛な声 - 毎日jp(毎日新聞)

 東京電力福島第1原発から半径20~30キロ圏内の緊急時避難準備区域の指定が9月にも解除される見通しとなったが、全域が対象となり9割以上の町民が避難する福島県広野町の住民からは「解除後も子供を持つ若い世代は町に戻ってこないのでは」との悲痛な声が漏れる。放射性物質への不安から帰宅をためらう保護者が多いとみられるためだ。25日には町立広野小がいわき市内の小学校に間借りして再開したが、地元での学校再開のめどは立っていない。【佐藤敬一、高橋克哉】

 「不安があるかもしれないが、元気よく運動や勉強をしていい学校にしましょう」。25日、いわき市立中央台南小に間借りして約5カ月ぶりに授業を再開した広野小の三瓶雅校長は、始業式で65人の児童に語りかけた。児童代表で6年生の根本凌君は「5カ月間、多くの人に助けてもらった。ここで元気に生活することが恩返しだと思って過ごしたい」と決意を述べた。ただし、全校児童289人の4分の3以上は、いまだ県内外の避難先近くの小学校に通う。

 避難準備区域に対して国がどの程度の除染に乗り出すかは不透明で、町は9月から独自予算で幼稚園や小中学校などの除染を行う方針。山田基星町長は「徹底した除染後でないと町民に自信を持って帰宅を勧められない。現状では『解除と帰宅は別』と言わざるを得ない」という。

 保護者も、解除後の早期帰宅には否定的。3人の子の母親(43)は「住んでいた地区は放射線量が高く、戻るつもりはない。子供の健康を守るためには仕方ない」。別の母親(39)も「子供が『広野町には絶対行かない』と放射線を怖がっている」と話す。

 人口約5500人の同町で今も残るのは約300人。原発関係者らを対象に飲食店や商店を経営するためで、大半は高齢者だ。多くの店舗や病院は閉まったまま。役場機能もいわき市内の工場跡地に移転した。幹線道路は原発作業員を乗せた車やバスで一時的ににぎわうが、一歩外れると「ゴーストタウン」に。窃盗被害を防ごうと赤色灯を付けた警察車両が頻繁に巡回する。

 広野駅前で原発作業員らに金物を売る渡辺ユワさん(74)は「孫の将来を考えると『すぐに帰ってこい』とは言えない。でも、若い人が戻らないと町の未来は開けない」。理容店を開く新妻龍治さん(66)は「このままでは町が『うば捨て山』になってしまう」と危惧した。

2011年8月23日 明日の福島

県議会に議員を!

河北新報 東北のニュース/福島県議選 年内実施へ準備本格化

 ことし4月の統一地方選で行われる予定だった福島県議選(定数58、欠員5)の年内実施に向け、県選管が本格的な準備に入った。東日本大震災後、特例法によって2度延期されて、現在の期限は12月31日。県選管はこれ以上の延期は難しいと判断し、市町村との調整を急ぐ。福島第1原発事故で多くの有権者が地元を離れており、選挙事務も前例のないものとなりそうだが、県選管は不在者投票制度などの活用で乗り切りたい考えだ。

子どもたちを守る議員を送り出しましょう。
現職や立候補を予定している人に、子どもたちが置かれている状況をどうするか、問いかけましょう。
信頼できる 候補者がいないならば、あなたが立候補を決断してください。

だれかが、何とかしてくれる!

誰も何もしてくれません。どん詰まりの状況を変えるのは、あなたしかいません。

行政は知事の命令でしか動きません。
知事は議会の議決がなければ予算を執行できません。だからすべて無責任!
議会は市民の選挙で選ばれます。
一人でも二人でも、議員を送り出せば、行政に対して働きかけることができます。
あらゆる情報を公開させることができます。
役人に訴えても、役人個人の判断でできることは限られています。
本来、個人の判断での職務活動は許されていません。

市民の意志を表明し、行政に働きかけることは、行政の怠慢を質すことでは大切です。
しかし、役人の良心や道義に訴えて、大声で要求すればかなうものでもありません。
※幕末の打ちこわしではないのです。

議員は市民の代表としてのさまざまな権利を行政に対して持ちます。
政治力を市民が手にすることで、問題を解決することができます。
一人一人の選択が子どもたちと福島を救うことになります。
どうぞ、早く気がついて、行動を起こしてください。

2011年8月20日 明日の福島

asahi.com(朝日新聞社):原発警戒区域の年積算線量、最高508ミリシーベルト - 東日本大震災

asahi.com(朝日新聞社):原発警戒区域の年積算線量、最高508ミリシーベルト - 東日本大震災

 文部科学省は東京電力福島第一原発から20キロ圏内の警戒区域の積算放射線量を、19日に公表した。原発事故発生から1年間の推計値の最高は、西南西3キロにある福島県大熊町小入野で508.1ミリシーベルトにのぼり、除染作業の困難さが改めて示された。最低は南相馬市小高区の3ミリシーベルト台で、数値にばらつきがあった。

 立ち入りが禁止された警戒区域9市町村のうち、8市町村の50地点を調査。事故から来年3月11日までの1年間、毎日、屋外に8時間、木造家屋内に16時間いたと仮定して積算量を推計した。

 計画的避難区域指定などの際に目安とされた年20ミリシーベルトを超えたのは、50地点のうち35地点。第一原発のある大熊町では全12地点が20ミリシーベルトを超え、うち7地点で100ミリシーベルト以上となった。最も高い同町小入野の508.1ミリシーベルトは、一般の人が浴びる人工の放射線量の限度1ミリシーベルトの500年分にあたる。

 浪江町では最高が北西20キロの川房で223.7ミリシーベルト、最低は北8キロ地点の4.1ミリシーベルト。

 文科省によると、原発から3キロ圏内の避難住民の一時帰宅が検討されており、参考にするという。

2011年8月18日 明日の福島

8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA! 木村真三 報告会


CHANBUKIMI さんが 2011/08/16 にアップロード

2011年8月15日 福島県四季の里で開催された世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!での、木村真三博士による福島県の放射能汚染の現状と、これからの展望等についての講演の模様­­です

2011年8月13日 明日の福島

明日の福島

原発事故発生から5ヶ月が過ぎました。
明日の福島はどうなるのでしょう。わかりません、ため息ばかりが出てきます。

今年の米は、放射能が測定して基準値以下ならば、市場に出回ることになるのでしょうが。
産地を表示して、はたして普通に売れるのでしょうか。
また、基準値以上の汚染された米は、東京電力が買い上げるなり、その補償をしてくれるのでしょうか。あるいは、生産を止めなかった国が、何かしてくれるのでしょうか。

群馬大学の早川先生のツィッターでは「米」は騒動になりました。

この先、農家は暮らしていけるのでしょうか。
わからないから、米や野菜を作っているのだと思います。

学校や公園などの放射能の除染が進められています。
表土を剥ぎ取った校庭の中央では線量が低くなるようですが、周りの建物や土地、樹木などまでは除染できないので、期待したほどではありません。
通学路や住居の周りの除染もしているようです。
アイソトープ研究所の児玉先生が指摘するように、環境に出た放射能の「総量」が問題です。

たくさんの子どもたちが転校していきました。

来年、三年先、数年後、十年後・・・
福島はどうなるのでしょう。

2011年8月13日 明日の福島

タイトルを「福島原発事故」から「今日の福島」に変えました。

タイトルを「福島原発事故」から「今日の福島」に変えました。

ここはささやかなマイメディア、自分の身の安全ための情報ウォッチサイトです。
何かを発信していますが、ジャーナルを気取ったり、特別な情報源を持っているのではありません。
また、何かの啓蒙や、時事の批評をしているのでもありません。

事故から5ヶ月が過ぎました。

原発事故で、どう生きるのかを考ています。
まさに、事故現場の福島第一原発で働いている人がいます。
NHKで、使い捨てられる被曝労働者のことが報道されました。
※ひどい国です。

また、原発の周辺に住んでいた人々は、避難を続けています。
汚染の状況から見ると、100年、あるいはそれ以上、本当は永久に戻ることはできないのかも知れません。

このサイトは、ささやかなマイメディアです。
自分の身の安全のために、今日も福島をウォッチしています。

山も川も、畑も田んぼも、果樹も、家畜も、水も野菜も米も肉も、何もかも放射能の中にあります。
アイソトープ研究所の児玉先生が、「総量」が問題だと言いました。

はたして、どうしてよいか分かりません。
わからないから、何かの糸口を求めてウォッチをしています。